2:なぜ撮り続けるのか。〜ファインダーからみる道東

「タンチョウは本当に美しい」
父とは、主に小動物、鳥、野鳥、を主に撮影していた。
作品の中にはフクロウやワシ、リス、モモンガ、野鳥、キツネなどいろいろな種類の動物が出てくるが、その中でもタンチョウの美しさほど素晴らしいものはないという。
極限のときのタンチョウの魅力は想像を絶するほどの美しさがある。こんな素晴らしいタンチョウを釧路近郊で見ることができるのに気が付いていない人が多い。
そのためにも自分が写すタンチョウを一人でも多くの方に見てもらいたいという思いから、シャッターを切り続けている。
大自然と心を通わせる。
最初のうちは撮影をすることで無我夢中だったが、数時間かけて一つの被写体(動物など)と向き合うと、その存在が今何を考えているか、どうやってここまできたかここにいるのはなぜなんだろうなどを考えて撮影するようになる。
被写体を通して人間のエゴや自己中心的なものを感じることが多くなった。
動物を数時間ずっと見ているとその動物の考えていることが伝わることがある。
そんなとき、自分、人間のいろいろなところが見えてくる。
ゴミ一つ捨てる人間の身勝手さや狩猟のなまりを食べてしまったために死んでしまう動物たち。
ときには同じカメラマンが自分の撮影のために、寝むっている動物を無理矢理起こしたり撮影ポジションを確保したいがために領域を犯したりと人間の身勝手さにせつなくなることも少なくない。
今までの自分も最初はそうしていたんだと思うと、胸が痛くなる。
子育てが美しいのは世界共通
親子の鴨の巣立ちの頃に何日間も通ったときのエピソード。
子供たちが地上から数メートル上の木の巣穴で親からのえさを食べているところから撮影を始めた。
最初は自分では何もできず、親が餌を運ぶのを待っていた。
大きくなり、その数メートル、ときにはもっと高い巣穴から飛び降りていく子供たち。
小さい羽を一生懸命に動かし、なんとか羽ばたこうとするにも飛べるわけもなく、地上へ落ちる、
そして、すぐに歩きだし、訓練が始まる。
最初は小さな水たまりのようなところでパシャパシャと水に慣れていく。
そのうち、小さな川に入るようになる。
結果的に激流の中泳ぎ切るところを目の当たりにしたときは感動して涙が止まらなかった。
これだけ同じポイントに数日間、ときには数カ月通って四季折々の撮影をしていると森の動きがわかるようになる。
フクロウでもそれぞれ個性があって、毛並みや斑点、表情も全く違うので数カ月ぶりに行っても見分けることができるようになっている。
大自然と共存していることを感じると、何度でも足を運びたくなるのだ。
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この記事を書いた人
by Otetu.
釧路市内でシェアスペースを運営。パン教室やさまざまなワークショップなどワクワクのイベントを多数展開する。
画像出典:facebook(Mitsutoshi Fujita),unsplash.com,unsplash.com,imcreator.com
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