石川啄木を思う気持ちをあかりに灯す”くしろ雪あかり”という幻想的でアートなイベント【歴史編】

釧路には、”くしろ雪あかり”という幻想的なイベントがあります。今回は、釧路ゆきあかりの”はじまり”と”イベントの美しさ”について運営者に話しを聞きました。
石川啄木がたどり着いた最果ての地
石川啄木が初めて釧路へやってきたのは、明治41年(1908年)のある寒い冬の夜のこと。
午後9時半頃に、小樽から旭川を経由し、最終の列車で啄木は、釧路の街に辿り着きました。
寒さの厳しい、最果ての地でぬくもりを求め、美しきものを愛し、歌を詠み、駆け抜けた啄木。
彼の生み出した作品は、時代が変わっても色褪せることなく、日本中の人の心に響き続けています。
石川啄木を偲んで”くしろにあかり”を灯す
それから数十年がたち、くしろの街では、石川啄木が初めて来釧した日を”石川啄木の来釧記念日”と定めることにしました。
世界的な歌人である啄木の功績を称え、当時の文化や風俗を顧みる事で釧路の歴史や想いを次世代に継承するため。
さらには、石川啄木が思い入れが深い場所である、南大通り近郊から釧路全体の活性化を図る事を目的にとし、ろうそくを灯して当時をしのぶ祭典を開催することにしました。
そして、雪あかりは始まった
釧路には当時、冬のイベントは、観光国際交流センターを主会場とした12月の「ホワイトイルミネーション」と、栄町公園やMOOエリアを主会場に開催される2月の「くしろ氷まつり」の二つのイベントしかありませんでした。
そこで、啄木が来釧したことにちなんで、
釧路市の新たなイベントを創りだせるのでは?
と、当時の「元気な釧路をみんなで作る会」の方が仕掛けたことがこのイベントのはじまるきっかけとなっています。
街にあかりを灯すという発想は、啄木が来釧したときに詠んだ、
(画像出典:http://profyuki.cocolog-nifty.com/)
「さいはての駅に下りたち雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」
から。
この短歌にある「雪明かり」という言葉から、インスピレーションを得て、
すでに小樽では、詩人・伊藤整にちなむ、「雪あかりの路」というイベントがありました。
小樽が、「雪あかりの路」ならば、釧路には啄木の「雪あかりの町」にしてみてはどうか?
ということでこのイベントはスタートすることとなりました。
この記事を書いた人
by T.
学生時代に釧路を訪れ、釧路に魅了される。現在は、建築士でありながら、釧路の発展のために力を尽くしている。
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